●四季日記●
日ごろ、心に感じていることを書いていきます。専門的な話題と言うより、リラックスして読んでいただけるような日誌です。
いつの間にか、季節も進み、初夏を超えてしまいました。農家の人に聞くと、ボチボチと
田植えも始まっているようです。5月8日で、コロナもインフルエンザ並みに変わり、
日々の生活もようやく日常を取り戻しつつあります。奈良公園沿いを歩いて
いると沢山の外国人を見かけるようになりました。鹿せんべいを求めて、沢山の
鹿もうろうろしています。コロナとの共存は、あらためて、日常のありがたさを
実感させてくれました。令和5年5月21日。
花冷えの一日。目に入るところは、桜の花で満開だ。彼岸もあっという間に過ぎ、
花の季節になった。車窓から見える景色も、花、花、花。まぶしく輝いている。
令和5年3月28日。
今日は、一日、よく晴れた。何か月ぶりかで、布団も干せた。夜になっても、暖房を
忘れるくらいに、暖かくなった。ちょぼちょぼと本を執筆している。筆の進みも、さほど
早くない。まあ、焦るまい。急ぐまい。一日一日、ゆっくりと進もう。令和5年3月12日。
今日、待ちに待った啓蟄。虫が長い冬を越して田畑の土から這い出てくる。啓蟄につられて、
陽気も随分と良くなりそうである。しばらくは、春めいた天気となるらしい。暖かいのは
ホッとする。雀の餌も増えて、ウッドデッキに蒔く餌もあまりいらなくなりそうである。
令和5年3月6日。
うす暗くなった道。片隅に猫が2匹いた。黒いのはさっと身を隠したが、茶色っぽいのが、
まだ、ゆっくりとこちらを見ていた。めざしでと、持っていたら、あげる所だが、あいにく何も
もっていない。記念に写真撮影だけしてあげた。もう、そんなに寒さを感じない時期に
来ているのかもしれない。令和5年3月5日。
今日は少し暖かかった。明日からも一週間くらいは暖かくなりそう。ホッとしている。
今週は、結構、午後に用事があったので、今、疲れがどっと出ている。
しばらくボーとしていよう。令和5年3月4日。
また、冬に戻ったような寒さがあった。クリニックに通っている人に、自分の知らない
分野のことを色々と教えてもらった。その教訓をうまく生かしていきたい。
ウッドデッキの
雀たちもにぎやかに餌をついばんでいる。日が照ると、春が近づいているのがよく
分かる。夕方遅くまで、外も明るくなってきた。令和5年3月2日。
今日は一日、良く晴れていた。少し気温も上がり、お出かけ日和だったのか、
午前の診察に来られる患者さんが多かった。12時30分には終わらず、
大分、肩が凝った。帰り道、銀行のATMを使って振り込みをしたが、
現金での振り込みはとても時間がかかり、何回か最初からやり直して
くださいと言うメッセージが出たので、奥の方にいた係員の人の指示に
したがって、カードでの振り込みにした。ATMも便利なようで不便である。
令和5年2月27日。
午後から、市長も参加しての三師会(医師会、歯科医師会、薬剤師会)がコンベンションセンターの会議室で
あった。それぞれ、熱のこもった発表があった。奈良県の病院跡地の使い方の議論は
この4月の知事選後でないと誰もわからないという話であった。私は、会議が終わったら、
さっさと帰ったが、殆どの人は、残って、何やかやと話があるようであった。まあ、いいか。
令和5年2月26日。
日ごろ、患者さんと接していて、患者さんの方から言わない限り、彼の職業の内容まで
立ち入らないことが多い。たまに、定年までどんな職業についていたのか話してくれる
ことがある。そんな時、びっくりするような職業、予想だにしなかった職業を聞かせてもらって
「へー!」となってしまうことがある。内科や外科では、そういうことは少ないかもしれない。
精神科医の役得かもしれない。令和5年2月25日。
日が照っていたが、寒さに変わりなし。風呂に入ってから寝るまでの間に、30分から1時間くらいの
間を置いた方が、健康にはいいらしい。チャットgptに問い合わせながら、ボチボチと
一日を過ごした。令和5年2月23日。
寒い日。いやだね。早く暖かくなってほしい。午後は会議。メディカルセンターでの胸部レントゲン検査が
中止になってしまう。うちのクリニックの職員のレントゲンをどこに頼んだらいいのか、頭が痛い。
儲け主義の政策ばかりでは、医師会員のためにはならないんだよ。誰かさんはそれが
分かっていない。自分の都合ばかり優先している。令和5年2月21日。
今朝早くから目を覚ましてしまって、仕方なく、起きだしてごそごそしていたため、午前の
診察中に眠気が襲ってきて、初診の男性の診察時にうつらっとしてしまった。さすがに、
その男性は帰りしなに目を丸くしていた。令和5年2月20日。
今日、やっとchatgptが使えるようになった。確かに、誰かに相談しているのと変わらないような
返事が返ってくるので、いささか驚いている。そのうち、私のような精神科医もいらなくなってしまうかも
しれないとも思った。また、ウィルスソフトの方も一応の解決を見た。何とかなりそうである。
令和5年2月19日。
chat gptはとても難しいソフトだ。私には使い方もわからない。そのトップページ
にすらたどり着けない。AI無能、PC不出来もの。頭を抱えるばかりである。
令和5年2月18日。
相変らず寒い。週末はかなり気温が上がりそうだが、来週はまた寒波が押し寄せそうだ。
ウィルスソフトの件で何度も電話しているが、専門の担当ではないとか、上司に聞かないと
分からないとか、色々と理由をつけては、まったく解決してくれそうにない。いずれにしても
PCにうとい私にとっては難敵である。チャット何たらはAIを使った
すごいソフトらしい。一度やってみなければと思う。令和5年2月16日。
今日一日、小雪交じりの寒い日であった。クリニックの事務の人たちからバレンタインのチョコレートをいただいた。感謝。午後から、あちこち歩きまわったら、さすがに疲れてしまった。
一日の歩数も9000歩を超えた。あー。お風呂が沸きました、というアナウンスが流れた。風呂に
つかって一日の疲れを取ろう。令和5年2月14日。
昨日、95歳の大坂に住む母がめまい発作で倒れた。何とか玄関口をあけて、助けを求めたが、寒空の中
道行く人影もなく、母の姿を見つけた近所の人に助けられたのは、発作後2時間あまりたっていた。
妹も駆けつけ、母の症状も落ち着いたが、血圧も一時的に180まで上がっていた。妹から
連絡を受けて、しばらく入院させた方がいいと判断したので救急車を呼んで総合病院に
連れて行ってもらったが、結局は検査だけされて、夜中の12時に家に帰されたという。
コロナのあおりでどこの救急病院も高齢者の入院を制限しているらしい。本当に、コロナ
騒ぎは迷惑な問題である。5類に変更になれば事態も幾分か改善すると思われるが、
それも5月まで3ケ月も待たねばならない。ひどい事態である。令和5年2月13日。
今日も一日、パソコンで明け暮れた。問題はいっこうに解決しなかった。何たらサポートセンターも
まったく頼りにならない。自力には限界がある。パソコンど素人にとって、パソコンは手ごわい
相手である。はー!令和5年2月12日。
よく晴れていたが、夜になると冬が戻ってくる。明日も、冷たいあめになりそう。今日も、インターネットの
トラブルで大半が終わってしまった。まだ、トラブルは解決していない。11日の祝日まで持ち越しそうである。
コンピューターは本当に手ごわい。大変だ!令和5年2月9日。
最近は、寝つきも悪いし途中で目は覚めるし、朝も早くから目を覚ましている。今朝も寝不足のまま
診察に突入。患者さんの前で寝入るのは何とか避けられてホッとしている。もう、年かな。仕方ない。
令和5年2月7日。
少し冷え込みが緩んだ。明日は雲の多い一日になりそうである。あまり政治的な話題は避けたいと
思っている身近な話題ではさほど変わりのない毎日である。今年は、お寺さんからもらった運勢表
だと真っ黒な1年だそうだ。何をやってもうまくいかないらしい。何もせず、じっとしていよう。令和5年2月6日。
今日一日、家にいたが指先が冷えて仕方なかった。雰囲気だけでも暖かくしようと、カエルの鳴き声を聞きながら
好き勝手に作業をしていた。ボチボチ、暖かくなってほしいのだが。まだ立春を通り過ぎたばかりなので
本格的に暖かくなるのは、1ケ月先になるのであろう。令和5年2月5日。
今日は立春。少しだけ気温が上がり、寒さが緩んだ。早いもので、いつの間にか1月も終わってしまった。
春の足音は聞こえているのだろうか。ウッドデッキの雀たちも、この頃は頻繁にやってきている。まだ田畑の
虫たちが這い出してこないのであろう。春が待たれる。令和5年2月4日。
もう2月になってしまった。明日は節分、明後日は立春。春の声も聞こえようというのに、両手の指先が
冷たくなってしまう。春よ来いと叫びたくなる。いつまでこの寒さが続くのやら。トホホと情けなくなってしまう。
令和5年2月2日。
今日も午前の診察は、患者さんと寒い寒いの大合唱で終わった。明日は少し気温が上がりそうで、
少しホッとしている。もう2月か。この前、お正月だったのにな。インフルエンザがコロナに変わって
流行の兆しが見えてきた。気をつけねば。令和5年1月31日。
昼過ぎにウッドデッキに10羽ほどの雀が来ていた。雀の餌がなくなっていたから、殆ど食べてしまったらしい。
ゆっくりと体を丸々と膨らまして休んでいた。猫が来ない間にゆったりとしていたのだろう。冬のこの時期は
田畑の餌もあまりないのだろう。母雀に連れられてきていた子雀も、混じっていたと思う。もうじき、この
雀たちも赤ちゃん雀を連れてやってくる。赤ちゃん雀は、羽を広げてパタパタしながら、母雀に餌をもらって
いたな。令和5年1月30日。
昼間は少し寒さが緩んだが、日が暮れると、まだ厳しい寒さが残っている。寒いのは、やはり苦手だ。平年並みで
いいからもう少し暖かくなってほしい。パソコンでカエルの鳴き声でも聞くしか手はないか。令和5年1月29日。
電車、ホームで粉雪のような、ボタン雪のような雪が降り注いでいた。奈良で、雪を見るのも珍しいのに
ここ1週間で2〜3回の粉雪を見た。朝の雪景色といい、雪には神秘的な美しさがある。大寒波が
日本列島を覆っているのであろう。雪国の人には大変でしょうが、奈良ではめったに見ない光景なので
美しさに見とれていた。令和5年1月28日。
さくらインターネットは不親切なサーバーである。そこのサーバーを使ってホームページを立ち上げているのに
知らぬ存ぜぬでは、借りた側としてはどうしようもない。URLは誰に問い合わせたらいいのか、さっぱり
分からない。万事休すである。令和5年1月27日。
ITは難しい。午後の県医師会のZoom会議に参加しそこなった。インストールされているZoomの中の
メールアドレスにこのPCのメールアドレスが組み込まれていなかったようだ。これはあくまで
私の推測にしれない。いずれにしても、ITには乗り切れていない。一日中、
さくらインターネットサービスやぷららサポートセンターに問い合わせていた。
でも、まだ解決できていない。果てしなく続くITとの格闘であった。令和5年1月26日。
路面が凍っていた。途上、歩いていた人が、トット滑っていた。今日は、午後診の後、帰り道、凍える
寒さであった。電車も空き空きであった。皆、早めに帰路についたのであろう。今週は、ずっと寒そう。
早く、春が来ないかな。あったかい日差しを浴びて、ゆったり通勤したい。令和5年1月25日。
奈良も雪国の仲間入り。夕暮れ時から、強い雪が降り始めたらしい。自宅までの途上に、4〜5センチの
雪が積もっていた。明日は、氷点下の冷え込みになるようだから、路面は凍結するだ
ろう。電車が動いているか心配だ。奈良はめったに雪が降らない。よっぽど強い寒気が
日本を覆っているのであろう。あー、常夏の島に住みたい。令和5年1月24日。
今日は、マカフィとのやり取りで3時間以上の時間を食った。にもかかわらず、マカフィの担当者は
まるで他人事のような言葉遣い。「(インストールできるか)確約できません」。知らぬ存ぜずの一点張り。
さすがに腹が立った。こっちは、ウィルスソフト代金を月々取られているのだ!いい加減にせい!コンチキショウ!
令和5年1月23日。
今日も、ぷららサポートセンターとスマートフォンの遠隔サポートのお世話になりました。これだけ、何度も電話して
いれば、もう電話番号は覚えられているだろう。またか、と思われているかもしれないな。機械にはうといし、
文章も下手だし、あんまり取り柄がないなと自分でもあきれてしまう。お風呂が沸きましたコールがなったので
風呂にでもつかって気分を変えようか。令和5年1月22日。
来週は、日本列島が極寒の地になるという。各地で水道管が凍ってしまうくらいの寒さと言う。黙って、寒波が
過ぎ去るのを待つしかない。これを過ぎないと春も来ない。今日も、近鉄電車の沿線の屋根の上で、白猫が
日向ぼっこをしていた。そこが一番暖かいのであろう。令和5年1月21日。
大寒。寒さが身に染みる。やっと、新型コロナが感染症法上の2類相当から5類相当に変えられる。3年もの
長い年月を要して、日本もやっと、新型コロナとの共存を決めた。これで、平常な日常が取り戻せる。
喜ばしい事である。令和5年1月20日。
山茶花の花が今年は、たくさん咲いた。幹や枝も大振りになり、いつの間にか、2メートル近くなった。飼い犬のスノーウィの遺骨を
山茶花の近くに埋めて、坊さんに供養してもらって、1〜2年くらいになろうか。多分、土壌が骨の石灰分を吸い込んで
変化したためであろう。寂しげだった庭が随分と賑やかになった。令和5年1月19日。
今日は、寒さが身に染みた。冬は嫌いだ。暗くて寒い。早く、春になれ、夏よ来い。古い契約書を探すのに手間取ってしまった。
何とか見つかったが、これで、私の立場が好転するかどうか、まったくわからない。しばらくして、頭が冷静になったら、
契約書を読み直そう。無性に、腹が立つ。コンチキショウ。令和5年1月18日。
結構、昼間は日の当たるところは暖かかった。午後からは、頼みのぷららサポートセンターにずっと電話しっぱなし。
しかし、ホームページのこととなると教えてもらえず。結局は、何も改善せず、自身のホームページのあちことを削除
しまくって、終わってしまった。やはり、おじんになるとパソコンは手ごわいな。半日、徒労に終わってしまった。
令和5年1月17日。
薄曇りの朝から始まり、昼からは晴れ間も見えるようになった。また、寒い日々が続きそうだ。いやだね。寒いのは
どうも苦手だ。早く、夏にならないかな。子供のころは、夏休みは、母の実家の高田で、渓流で一日中遊んだな。
あの頃が、懐かしくてたまらない。宝石よりもきれいな渓流であった。今は、渓流でなくただの小川になってしまった。
自然がどんどん失われていってしまうのは、なんて寂しい事だろう。令和5年1月16日。
今日も、ぷららサポートセンターのお世話になった。やはり、担当者の電話に出てくれるまでの時間が長い。多分、
40〜50分はかかったように思う。それだけ、ぷららサポートセンターが頼りにされていろという事なのだろう。私一人
では解決できないことを、あっという間に解決してくれた。ありがたい存在である。令和5年1月15日。
今日も、午後からパソコンの問い合わせで、ぷららサポートセンターに電話していた。つながれば、解決まであっという間
なのだが、なかなかつながらない。半分、諦めたころにやっとぷららの人が電話に出てくれる。自宅では、30代の子供?
がスマホを見せ合いながら、キャッキャッとはしゃいでいる。なんか異星人が2人もいるようで、違和感を覚えてしまう。
令和5年1月14日。
午後からも診察。金曜日は疲れる。やはり年のせいかもしれない。去年の4月から、職種を変えた30代の女性が
初診で来院。20代の同じ職種の人と50代の事務員にいじめられて、今年に入りついに、適応障害からうつ病を
発症し、職場に行けなくなってしまった。休養の診断書を書いて、渡し、すぐに休むように指示。診断書をもっていけない
と言うので、郵送でかまわないと説明。不眠、食欲の低下があり、抗うつ薬を処方。1週間後の受診を要請。時間を
見れば、40分近くかかっていた。うつ病は良くなると思うが、適応障害のほうが難敵。職場復帰は難しいかもしれない。
令和5年1月13日。
今日は、午後から奈良自動車教習所で運転免許証の高齢者講習会を受けた。主に、視力検査と実務研修であった。
人数も、私を入れて4人だけの受講者数であった。4人が一人一人順番に、検査と研修が回ってくるので全員が終わるのに
2時間ほどかかった。まあ、のんびりとした講習会であった。今年の誕生日の前後1ヵ月間のうちに、免許の更新手続きを
せねばならない。年を取ると色々と面倒になるな。令和5年1月12日。
今日は、「鏡開きの日」。正月に年神様に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を
願う行事。令和5年1月11日。
1月10日は、その通り、「110番の日」。24時間、つながるので事件から一般家庭のもめごとまで、
110番に電話している。保健所も、電話番号が分かりやすければもっとよく利用されるであろうが。
また、1月10日は、「明太子の日」でもある。福岡県で明太子の製造・販売を手掛ける株式会社
ふくやによって制定された。1949年1月10日に、ふくやの創業者が韓国発祥の明太子を初めて日本風の
味付けで販売したことにちなんでいる。令和5年1月10日。
今日は成人の日。ただ、成人の年齢が20歳から18歳に変わったため、ややこしくなってしまった。各自治体任せに
なっているらしい。NHKニュースでは、成人の日と言わずに、「はたちの日」とか言って、20歳の
大学生にインタビューをしていた。18歳の成人式と言うのも区切りが悪いし、20歳の成人式の
方がいいように思うが。令和5年1月9日。
今日も一日、これという事もなく終わった。自作のクリニックのホームページに手を加えたり、ホームページ用に借りている
さくらインターネットとの連絡のために会員IDを探しだしてメールアドレスを変更したりした。後は、無料で公開されている
クラシック音楽や70年代フォークソングをブルートゥースで聞いたりしていた。明日も休日だな。ゆっくりやろう。令和5年1月8日。
知らなかったのだが、昨日の1月6日は天赦日。暦の上で最上吉日とされる。天赦日とは「天が万物の罪を赦す日」とされ、
何をやってもうまくいく日だと言われている。残念。そんな良い日が知らないうちに終わってしまったなんて、なんともったいない
事なのか。仕方ない。また、運気が上がるのをじっと待つしかないのであろう。令和5年1月7日。
昼休み時間に西大寺まで出かけた。夜も時刻が分かる目覚まし時計を買うのが目的。ランチは同じ6階にあるカプリチョーザ
で海鮮パスタを食べたが、スマートフォンでスカイプをダウンロードしたり、電話がかかったりで、落ち着かないランチタイムであった。
ランチの後、ケーズデンキで目覚まし時計を買ったが、デジタル時計を買うつもりが、アナログ時計になってしまった。仕方ないかな。
令和5年1月6日。
午後は、パソコンのあれこれでつぶれてしまった。午後3時30分頃に、さくらのレンタルサーバーから連絡が入り、契約時のメール
アドレスもお客様番号もまったくわからず、手の施しようがないので今使っているパソコンに今後の手続きについてメールしておくから
後は自分でやってほしいと言われて終わった。次は、去年の暮れに買ったパソコンのアウトルックでのメールができないので
マイクロソフトのIDコードを教えてほしいとNECダイレクトに問い合わせたら、これまた、コードはマイクロソフトに問い合わせて
くださいと言われて、マイクロソフトの何たらさんとチャットでやり取りしたが、結局は、パソコンにIDカードはついているはずなので、
もう一度、NECダイレクトに聞いてほしいと。なんやかんやで、そのパソコンは欠品で取り替えますとの
こと。パソコンって難しい。現代文明についていくのも大変だ。令和5年1月5日。
昼間はまだましだが、夜の冷え込みが厳しい。ランチは、奈良県庁の食堂で定食を食べた。観光客らしい人も何人か見られた。
今時、ランチが550円で食べられるところも少ない。午後の診察は閑散としていた。皆、この寒さで診察に来るのもおっくうなのであろう。
冬は午後の診察はやめてもいいかもしれない。帰宅も、午後8時くらいになり、ご飯を食べ終わって、風呂に入るのも、9時半過ぎに
なってしまう。楽な仕事ってないのかもしれないな。無理せず、やっていこう。令和5年1月4日。
今日も、少し雲が多かったが、一日晴れていた。午前中から出かけて、薬園八幡宮で祈祷のお札をもらって、そして本殿に参拝
して、1年の無事を祈念した。近鉄郡山駅に向かう途中で、合気道の窪田先生から連絡をいただき大和八木駅で落ち合った。
喫茶店に入り早めのランチをごちそうになり、今後の身の処し方について貴重なアドバイスをいただいた。感謝!感謝!令和5年
1月3日。
明けましておめでとうございます。早や、2023年1月2日になりました。年末から正月にかけて、恒例の神社の初詣のための
2泊3日の旅行から、今しがた戻ったばかりです。娘も息子も30代の、よい年ながら、まだ未婚で自宅に居座っています。
二人とも結婚する気配は全くありません。困った!このまま、8040の問題を抱えて、毎年の家族旅行が続くのかと懸念してます。
令和5年1月2日。
12月分のレセプトの処理のため、昼前から出かけた。作業が終わってから、近鉄奈良の喫茶店で、「医療を良くする会」の
打ち合わせ。これで、今年の仕事の納め。いざ、来年だ。今は、70年代フォークを聞きながら、日記を書いている。
令和4年12月29日
今日は、御用納め。来年1月3日までのお休み。誰もほめてはくれないけど、今年1年、よく頑張ったね、と自分をほめてあげよう。
来年はウサギの年。私の生まれたのが卯年。そんなに年食ったのかと、自分でも驚く。今年のいやことは全部、忘れることにした。
自分のために来年も頑張るぞ!令和4年12月28日。
今日は幾分か寒さが和らいだ。これからは、1日1日と日が長くなっていくのでうれしい。大体、1月10日くらいになると、周囲が
明るく感じるようになる。それが、楽しみだ。
今日は、「ピーターパンの日」。1904年(明治37年)の12月27日、イギリスの
劇作家ジェームス・バリーの童話劇「ピーターパン」がロンドンで初公演されたことにちなんで記念日が制定されている。令和4年12月
27日。
午後から年賀状書きをした。この頃は、年始の挨拶を取りやめる所が増えてきている。私も必要最小限の枚数に制限しようと
思ったが、それでも結構な数になってしまった。まだ、書き終わってはいないが、切り上げた。2〜3日前の寒さに比べると、今日は
多少ましかな。今年も残すところ、後、今日を入れて6日間である。何か、一歩一歩、棺桶に近づいているような気がする。いやだね。
もっと、明るい発想ができないものかな。令和4年12月26日。
今日は、大阪の母親のところを訪ねた。95歳になったが、腰は曲がっているが、顔色はいいし声にも張りがある。まだ、当分は
大丈夫そうである。
今朝の読売新聞の朝刊に、2022年に起きた10大ニュースがあった。ダントツトップは、ロシアによる
ウクライナ侵攻であった。世界中が幸せにならないと、日本も幸せになれないと思う。プーチンよ、とんでもない野心を捨ててくれ。
令和4年12月25日。
今日はクリスマスイブで、帰りにクリスマスケーキを買って帰った。年に数回しかケーキを食べないので、家族4人して、「美味しい」
とほおばった。
今日の読売新聞の朝刊に、今年の10大ニュースが出ていた。トップは、やはり、「安倍元首相が撃たれて
死亡、9月に国葬」であった。これまでで最長の首相を務めた人の無念の最後であった。令和4年12月24日。
昨日は、早朝に家を出て、あられがぱらついていたのにいささか驚いた。路面にも、砂糖を撒いたように小粒の雪が広がっていた。
気温も、時間が経てば経つほど下がっていった。手袋をしていても手は冷たく感じた。近鉄電車沿線の田畠もうっすらと霜なのか
雪なのかわからなかったが、白いまだらの化粧をしていた。昼休みに、ランチを食べに出た時も、結構強い風にあおられて、小雪が
舞い飛んでいた。奈良では、なかなか雪を見ないのだが、珍しい光景であった。令和4年12月24日。
今日、天気予報では小雪がちらつくらしいが、あまりあてにならない。昨日は冬至。1年で一番夜の長い日であった。帰りの
車窓から山の上に赤い夕焼けがさえていた。手袋をしていても、手は氷のように冷たくなっていた。一段と寒さが増したのであろう。
12月23日は、平成時代の天皇誕生日。令和になって、天皇誕生日が変わってしまった。1958年(昭和33年)12月23日、
東京タワーが完成し、完工式が行われた。令和4年12月23日。
この頃、天気予報が外れている。本当は、昨日は雨のはずだったが、晴天に近い天候だった。今日の予報では、夜には小雪が
ちらつくらしいがはっきりしない。
毎朝、6時過ぎには起きだしているが、まだ外は暗い。6時半過ぎもまだ暗い。6時45分
くらいになってようやく明るくなってくる。その時分に、ウッドデッキに雀の餌をまいておくのだが。夕方には、柵の上にまいた餌は
ほぼなくなっている。知らぬ間に雀が押しかけて食べて行ってしまうのであろう。令和4年12月22日。
今日から雨。寒い雨。晴れた日には近鉄電車沿線の住宅の屋根の上で白い猫が日向ぼっこをしている。気持ちよさそうである。
この頃、電車やバスの時刻が変わって、いつものように空いた電車に乗れない。色々時間を調節してみなければ。
今日、12月21日は「遠距離恋愛の日」。12月21日を繋げて表記した「1221」の両側の「1」はカップルが遠距離で
離れ離れになっている様子を表現しており、中の「22」はあった時の2人を表すとの見立てから、FM長野の
大岩堅一アナウンサーが12月21日に提唱した記念日。令和4年12月21日。
紀州の新宮市に住む従妹のもっちんに電話した。彼も70歳かな。いい年だ。ここ10年以上、地元で漁師をしている。10月に
電話した時は海水の温度が高くて、漁の方はさっぱりだと話していた。12月に入って、海水の温度がましになったのか、
体長60cmくらいのカンパチが5匹つれたと言っていた。彼は、地位も名誉も関係なく、好きな魚釣りに精を出している。
羨ましい限りだ。人は皆、幸せでなければいけない。好きな道を進めばいいのである。人生、万歳!令和4年12月20日。
パソコンのウィルスソフトの入力がプロバイダーにもウィルス対策会社にもよくわからず。昨日の一日は、朝から夕方近くまで
手を取られてしまった。専門家でもわからないのに、私のような素人にはチンプンカンプンであった。最後は奥の手らしいのが
出てきて、一応、一件落着した。
今日、12月19日は「日本人初飛行の日」。1910年(明治43年)のこの日、東京・代々木
練兵場(現在の代々木公園)で徳川好敏工兵大尉が日本人初飛行に成功した。令和4年12月19日。
本格的な冬の寒さになった。今年も残すところ、半月。1年がたつのはあっという間である。
今日、12月18日は「国際移民デー」。
1990年のこの日、国連総会で「すべての移民労働者とその家族に人権保護に関する国際条約」が採択された。令和4年12月18日。
年末年始を前に、年を越せるように早めに処方を受けに来る人もいる。前回との間隔が短いと、少し困ったことになるから、
なるべく間をあけてきてくださいと頼んだはずだが、それでも何人かは、かなり短い期間で来院する。頭の痛いところで
ある。
今日、12月17日は「飛行機の日」。1903年12月17日、ウィルバー・ライト、オーヴィル・ライトのライト
兄弟がノースカロライナ州キティホーク近郊にあるキルデビルヒルズ4にてて12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー
号によって有人動力飛行に成功した。令和4年12月17日。
とうとう真冬になってきた。心は内向き、活動も減ってきている。頭だけは使い続けねばと思う。
今日、12月18日は「国際移民デー」。2000年の国連総会で制定。1990年のこの日、国連総会で「すべての移民労働者とその家族に人権保護に関する国際条約」が採択された。令和4年12月18日。
日に日に寒くなってきました。どうも、冬は苦手です。暗くて寒いのが大嫌いです。早く夏が来ないかと思っています。
今日、12月16日は「ボストン茶会事件の日」。1773年12月16日、マサチューセッツ植民地のボストンで、イギリス本国の
植民地政策に憤慨した急進派が港に停泊中の貨物輸送船に侵入。「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながらイギリス
東インド会社の船荷である紅茶箱342箱を海に投棄した。アメリカ独立運動の前哨戦的な闘争と位置付けられ、日本の
教科書には「ボストン茶会事件」と記載されている。令和4年12月16日。
昨夜は、こと座流星群の絶好の観測日。夜空の星を見上げながら歩いたが、一個も流星を見つけられなかった。しかし、冬の
夜空は星々が輝き、オリオン座も綺麗に見えていた。
今日、12月15日は「観光バス記念日」。大正14年のこの日、東京
遊覧乗合自動車が日本初の定期遊覧バスを運行した日。令和4年12月15日。
昨日も小さな医師会で、楽しくない会議で、「見ざる・言わざる・聞かざる」を貫いた。どうのこうのと議論したって、
たかが知れてる。誰かが天狗になった独裁者を笑っている。
今日、12月14日は、「忠臣蔵の日」。元禄15年12月14日、
赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げ、討ち入り後に上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺
へ向かった。令和4年12月14日。
早朝、吐く息が白く輝く。目の前の太陽に向かって、ハーと思いっきり吐き出す。気分もすっきりとする。田畑の小鳥の
餌になる虫もいなくなったのか、最近、ウッドデッキに集まる雀たちが増えた。皆、冬毛になって丸々している。面倒だけど
毎朝、餌をまいてあげている。猫が頻繁にきだしたら、雀が警戒して、まいた餌も殆ど、次の日まで残っている。
そんな毎朝だ。
2022年、今年の漢字は「戦」。ロシアによるウクライナ侵攻、北朝鮮の相次ぐミサイルの発射などが
理由と言う。世界全体が平和になる日が来ないのだろうか。ちっぽけな地球の上で、なぜ争うのであろうか。よく深い、
一部の人が世の中の平和を妨げているのだろうか。悲しいことである。令和4年12月13日。
時の流れが年々早くなっていく。来年年生まれ年。あっという間の一生になりそう。最小限必要なことに専念しなければいけないと
思う。
今日、12月12日は「漢字の日」。1995年に日本漢字協会が制定し、毎年その年の世相を象徴する漢字一字を京都の
清水寺で発表することで有名になった記念日。令和4年12月12日。
早朝に歩いているがあたりは薄暗い。ここ数日満月が割と高くこうこうと照っていたためか、足元がうっすらと明るく感じた。
今日、12月11日は「ユニセフ創立記念日」。1946年(昭和21年)のこの日、国連児童基金(ユニセフ)の前身・国連
国際児童緊急基金が創立された。1953年(昭和28年)に改組され、現在の名称・国連児童基金になったが、UNICEF(ユニセフ)
という略称は一般に普及しているということで、そのままになった。令和4年12月11日。
師走は夜が長く、おまけに寒いから苦手だ。早く過ぎ去ってほしい。
今日、12月10日は「ノーベル賞授賞式」。
スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベル博士が、自身の発明したダイナマイトで得た財産を人類の平和に
寄付するという遺言状を残していたことから、ノーベル博士の命日にちなんで例年12月10日にノーベル賞の授賞式が
ノーベル財団主催のもとで執り行われている。令和4年12月10日。
昨夜は今年最後の満月。その近くに火星も輝いていた。夜道の足元も心持ち明るく見えていた。
今日、12月9日は
「障害者の日」。国際障害者年の1981年(昭和56年)のこの日に開催された総理府(現在の内閣府)主催の中心記念
事業「広がる希望の集い」で制定。厚生省(現在の厚労省)が実施。令和4年12月9日。
この前、電車の中で鼻をかんだだけなのに、隣に座っていた女性がさっと立ち上がり、向こうの方の座席に座った。
コロナと間違われたのかなと思う。日本でも国民の4人に1人がすでにコロナに感染した。スウェーデンでは国民の
8割がすでにコロナに感染した。日本もいずれ5割、6割がコロナに感染するだろう。自然に任せるのが一番いい。
今日、12月8日は「太平洋戦争開戦日」。1941年(昭和16年)のこの日、日本がアメリカとイギリスに宣戦を布告した
「開戦の日」。いわゆる太平洋戦争の開戦日。令和4年12月8日。
朝晩は随分と寒くなった。行き帰りのコートが必要な時期だ。
今日、12月7日は二十四節気の「大雪」。大雪とは本格的に
冬が到来する頃。山々は雪に覆われ、平野にも雪が降り積もる。新しい年の準備を始める「正月事始め」もこの時期から
行われる。令和4年12月7日。
ゼロコロナ政策をとっていた中国もボチボチとその政策の緩和に乗り出した。中国の国民も少しは安心したであろう。日本でも
ようやくコロナの感染症法の見直しが、加藤厚労相のもとで始まった。日本も遅ればせながら、やっと欧米諸国に追随しようと
している。
今日、12月6日は「音の日」。1877年12月6日、アメリカの発明家トーマス・エジソンが自ら発明した蓄音機で
録音と再生に成功。これを記念して日本オーディオ協会が1994年に制定した。令和4年12月6日。
今の医師会は全く楽しくない。合気道の窪田先生に、今、私が置かれている立場を話したら、「人生を楽しみなさい」と言われた。
なるほど、そうか、今の時間を楽しい事だけに充てればいいんだ。目からうろこであった。これは自分にとって楽しい事か楽しく
ない事かで、やるべきことを決めていこうと思う。楽しくないことはやらない。人生は短い。あっという間に墓場に入ってしまう。
楽しくないことにかまっていられない。これを徹底していこう。令和4年12月5日。
最近、新聞の今年の10大事件が出ていた。その中に、7月8日凶弾に倒れた偉大な政治家の安倍元首相の事件があった。吉田元首相
に次いで国葬にされた政治家であった。この2人にとって、政治家は天職と言ってよかったのであろう。
今日、12月4日は
「E.T.の日」。1982年(昭和57年)のこの日、映画「E.T.」が日本で公開された。観客は1000万人を突破し、1997年に
「もののけ姫」に抜かれるまで最高の配給収入を記録していた。E.T.はExtra-Terrestrialの略で「地球外生物」のことである。
令和4年12月4日。
冬の夜空の星は明るく見える。寒い夜道を照らすように月も輝いている。真っ黒なキャンパスに誰かが黄色のインクでも落とした
みたいだ。昨日は、月と火星が随分と近づいていた。天体ショーに見とれていると、つんのめってこけそうになる。暗い足元を
気にしながら歩いた。
今日、12月3日は「国際障害者デー」。1992年(平成4年)11月の第47回国連総会で制定。国際デー
の一つ。令和4年12月3日。
昨日一日あわただしかった。一昨日来院した患者さんが、抗うつ剤を飲んで吐き気が止まらず、脱水状態でへたばっていた。
点滴が必要。近くのクリニックに点滴を頼んだが、断られ、仕方なく救急車を呼んだ。救急隊の人は来てくれたが、行先は病院間で電話して
決めてくれと言われ、慌てて病院に電話したが、電話交換、次いで地域連携室、さらに看護師、さらに医師。ところが、
連絡中と言って、なかなか返事がもらえず。午後の会議が迫ってきているし、どうしょうかと頭を抱えていたら、救急隊の
人が電話先の人に、「119番に電話ください」と言ってくれた。何とか、解放されて、会議には間に合った。後は、いばらの
会議が待っていたが。令和4年12月2日。
終に師走。気温も急降下。あわただしいひと月が始まった。
今日、12月1日は「いのちの日」。厚生労働省が自殺予防
活動の一環として12月1日に記念日を制定。精神的に追い込まれ、誰にも相談できずに1人で悩んでいる人たちのために、
例年12月1日からの1週間は各地域ごとに無料の相談電話「いのちの電話」が設けられ、悩みや相談事に応じてくれる。
令和4年12月1日。